数日前、カメラマンの早川哲さんから「7日間ブックカバーチャレンジのバトン、キョンちゃんに渡したいんだけど」というお電話をいただきました。
20歳の頃、撮影でお会いしてから四十数年、家族ぐるみでもお世話になっている方です。
ヒェーッ👀‼️
わたしですか?
今までのわたしなら萎縮して無理ですと答えましたが、64歳の今、もう怖いものはありません
😁
Facebookやインスタすら初心者だし、バトンラリーなどさらに苦手なことですが、ほかならぬ早川さん、お兄ちゃんのお誘いです⤴️😆🍀
「キョンちゃん、ルールなんか無視して自由にやっていいからね。」とおっしゃるので、喜んでお受けすることにしました🎵
自由に気ままにすすめてみようと思います。誤字・脱字、失礼などがありましたらお許しください🙏
では、7日間、どうぞよろしくお願いします。
初日は『韓国の食』をご紹介します。
出版社:平凡社、著者:黄慧性、石毛直道、初版:1988年5月10日
黄先生は韓国の重要無形文化財38号技能保有者、人間国宝の方で、尊敬してやまないわたしの師です。
石毛先生はご存知のように世界はもちろん韓国の食文化にも造詣が深い方で、光栄なことに、初版本は石毛先生が送ってくださいました。
※10年前、対談でご一緒した時の写真。
『韓国の食』でつづられた内容は、当時、日本ではほとんど知られていないものが多く、話題を呼びました。
6年後の年末、わたしは思わぬ連絡を受けました。
「韓国の食」が平凡社ライブラリー<86>として単行本になるので、巻末エッセイを書いてほしいとのことでした。
なんて光栄なこと!
とても驚き、そしておじけづきました。
そんなわたしに、「名誉なことだ。自分の言葉で、素直に書けばいいのさ。」と肩を押してくれたのは父でした。
幼い頃に一家で日本へ渡った父は、母国をこよなく愛する民族主義者でした。異国の地で様々な事業をしてきた父ですが、最もこだわり、力をそそいできたことは「食」の仕事でした。
朝鮮半島の食文化を正しく伝えていきたい。それが父の志でした。
モランボン流宗家として活動を始めた父を継いだのがわたし。
正直な思いを書きました。
締め切り前日、父に文章をみてもらいましたが、一箇所だけ訂正されただけで拍子抜けしたのを覚えています。
今、読み返すと恥ずかしい。あちこち気になったはずです。広い気持ちでわたしを尊重してくれた父の寛大さに泣けてきます。
1995年2月15日。平凡社ライブラリー<86>が出版され、解説ー「わが師黄先生へ」というわたしの文章が載ったのです。
10日前の朝、父は静かに逝きました。わたしに宝物を残して。
さらに、10年後、再びお話をいただきました。
〔新版〕『韓国の食』平凡社ライブラリー<529>2005年2月9日の出版でした。
今回はまた特別でした。黄先生のご長女、宮中飲食研究院の韓福麗院長先生がまえがきを書かれたのです。
韓院長は「大長今(テジャングム)」、日本では「宮廷女官 チャングムの誓い」の監修と料理のすべてを担当されました。
韓福麗先生も重要無形文化財38号宮中飲食の技能保有者、人間国宝の方です。
わたしにとって師匠であり、姉のような存在で公私ともにお世話になっています。
韓先生のご配慮で、わたしは「
チャングムの誓い」日本語版の料理監修をさせていただいたのです。
貴重なご縁、本当にありがたいご縁でした。
今回も心をこめて書かせていただきました。
わたしは日本で生まれた在日二世ですが、両親のおかげで自分のルーツを正面から見つめることができました。
韓国料理家になったのも父の影響でした。
食いしん坊でしたし、わたしにぴったりだったのかも知れません。
父が創設した「モランボン調理師専門学校」で授業を受け持ち、料理教室や撮影、講習会など活発に活動しました。
本も出させていただきました。
時代といえばそれまでですが、今では信じられないほどの仕事量でした。
20歳から教壇に立ったので、もう44年目。
ふふふ、信じられません。
駆け出しの頃から、多くの方々に支えていただきました。
感謝しかありません。
あまり進歩はありませんが、ずっと同じ、ぶれることなく前に進めたことを誇りに思っています。
食べることは生きること。
美味しいものは人を笑顔にします。
そんな幸せな職業につけたことを幸せに思います。
まだまだ夢の途中です。